どうなる日本経済

お客様主催の講演会に参加してきました。

掲題タイトルで経済ジャーナリストの須田さんが講義されました。

アベノミクスでは輸出関連主要三業種(トヨタ自動車など)だけが恩恵を受けていて協力企業には還元されず、庶民は景気の良さを実感できなかった。アベノミクスは失敗と評価している。

安倍政権の新三本の矢はガラッとかわった。一億総活躍というものがあるが、女性や高齢者の職業機会が増えた。それをビジネスチャンスたしている洋服の青山などの企業もある、ヒントたしてもらいたい

ということでした。

恋愛

ダウンタウンデラックスに栄和人監督が出演していまして、オリンピックメダルをとる選手を育成するためには、

選手と恋愛すること

だというようなことをおっしゃっていました。

そうなることで長時間の指導も嫌でなくなるということでした。何か間違いが起こらんかなという心配はどうでもいいですが、僕も仕事についても同じように思えたらいいなー。

 

憲法的な考え方

機会あれば色んな仕事を引き受けたいと思います。

その中に公務員試験の受験指導があります。

模擬試験の作成に携わりました。

弁護士業務において、憲法を持ち出して何か論じる機会は少ないですが、憲法的な視点とか発想というものはありまして、これは業務においても使えます。

知識ではなく、憲法を学習するに当たり身につけた考え方とか物事の整理の仕方を別の場面で使うわけです。

模擬試験の点検とはいえ、こうしたものの考え方を思い出す機会になりますので、仕事とはいえ、重宝しています。

判例研究する理由

小職が所属する東京弁護士会の中に労働法制特別委員会というところがありまして、一部会として判例研究部会というのがあります。

名のとおり裁判例(特に最新)を研究するわけです。

なぜ法律家は裁判例を研究するかというと、たぶん裁判官の判断の背後には普遍的な判断基準とか真理があると信じていてその形を発見したいからだと思います。生命と非生命の境目がどこにあるのか生命のDNAの本質が何か探し当てたいというのと似た感じで、法律家はあらゆる争いを解決できる基準、常識って何ということを突き止めようとしています。自然科学と違うのは人を相手にしますので場所や時代によってそれは変遷するのだろうと思います。

 

理系だと仮説の正しさを確認する作業として実験をしますが、法律家の場合は普通ありもしない事例についてじゃあこんな場合ではどうかなどと議論します。

例えば刑事法の教科書に出てくる議論だと殺したと思ったら実は死んでいなくて死体を人知れず葬るつもりで砂浜に埋めたら砂を吸って死んだが何罪かなどとやります。

そんなわけで、法律家は難しい議論をするようになります。優れた人はそれを市民のために翻訳します。ご安心してお付き合いください。